津地方裁判所 昭和27年(ワ)112号 判決
原告 太田久志
被告 日本電信電話公社
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告は原告に対し金四十九万千六百二十円及びこれに対する昭和二十七年六月十八日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として津電気通信管理所(以下単に管理所と略称する)運転手訴外中村勇が昭和二十六年九月二十五日午後一時頃公務のため同所の自動車を運転して津市丸の内伊勢新聞社北十字路を急に東折せんとしたため折柄右十字路を訴外小西浅吉を同乗せしめて自転車にて南進してきた原告に衝突し、原告等を路上に転倒重傷を負わしめ且つ原告搭乗の自転車を破損せしめた。(同乗の小西浅吉は幸い軽傷を負うたのみであつた。)原告は右負傷により直ちに津市西新町永井院病に運び込まれ引続き同院に入院することとなつたが管理所長は右事故につき同所側に過失を認め同所職員を派して原告に対しその入院費用、休業中の補償(一日当金二百円)自転車の損害等を負担すべき旨申出でた。しかして原告入院当時の永井病院の診断によれば原告の負傷はその負傷後八十日間で完全に治癒しその後身体に何等障害を残さぬとのことであつたので原、被告双方において右診断を信用しこれを基礎として被告側の好意により治癒期間を百日と見積りその間の休業補償、入院費、自転車の損害等を合算して金六万七千百八十円として被告側において右金員を原告に支払うことに話が纏まり昭和二十六年十一月十二日右の如き示談契約が成立し原告は右金員を受領してここに事件は一応円満に解決されることとなつた。しかしながら其の後において前叙永井病院の診断が誤であることが確認せられた。即ち原告は負傷後八十日を経過するも治療の効なく右同病院の診断では骨折はしていないとの診断であつたが骨折していたため治療の見通がつかないこととなり同年十二月二十七日同病院を退院し一志郡豊地村、薬王堂訴外宮村医師の治療を受けその後自宅にて津市阿漕町訴外矢田医師の来診を乞い自宅療養の後昭和二十七年一月に三重県立医科大学附属病院に入院して整形外科にて治療を受け第一段の手当を終り一時退院して目下自宅より同病院へ通つている状態で全治のためには今後更に次の如き治療を要することが明かとなつた。即ち(1) 昭和二十七年十月二十日頃に骨移植手術を行い右移植骨の癒に約四カ月(2) 其の後膝関節攣縮に対し理学的療法を施行しつつ骨癒合が強固となるを待ち膝関節援動術を施行するのに三カ月(3) 右手術後理学的後療法に約三カ月を要するのである。前叙の如く原被告間の本件示談契約は原被告双方共右永井病院の誤つた診断を正当なるものと誤信してこれを基礎として成立したものであるが原被告においてもし当時永井病院より現在の叙上事実が示すが如く治療に同病院の診断より更に一年九カ月の期間を要し且つ大手術を要することを告知せられていたならば原告に好意をもつていた被告側においても原告に対し、これに相応する金員の交付を約した筈であり原告においても本件示談契約に応ずる筈はなかつたのであり該契約の基礎に原、被告に錯誤あり右錯誤によつて該契約が成立したのであるから無効であるといわなければならない。仮りに本件示談契約が錯誤による無効ではないとしても信義誠実の原則に反し無効である。しかして原告は本件負傷により(一)治療費として金十一万九千八百円(その内訳は(イ)永井病院の入院治療費金四万五千六百九十円(ロ)津市民生課治療費立替払金二万六千四百七十五円(ハ)永井病院入院中の米代金四千百六十円(ニ)薬王堂医院其他自宅療養費金壱万円(ホ)三重県立医大附属病院手術入院費金三万三千四百七十五円)を要しよつて同額の損害を蒙むり(二)原告は煮干の加工販費を業としていたものであるが本件負傷により全治まで六百三十日間休業の已むなきに至つたものであるところ、もし原告が働いておれば一日金三百円得ることが出来た筈であるから右全治期間休業のため得べかりし利益金十八万九千円を喪失しよつて同額の損害を蒙むり(三)更に原告は精神上肉体上の苦痛をうけ右苦痛は金二十五万円でもつて慰藉せらるべきものである。従つて被告は原告に対し原告が本件負傷によつて蒙つた右(一)(二)(三)の損害として合計金五十五万八千円を支払うべき義務あることは明らかである。仍つて被告に対し右金額より原告が被告より先に受領した金六万七千百八十円を差引いた金四十九万千六百二十円及びこれに対する本件事故発生後たる昭和二十七年六月十八日以降完済に至る迄年五分の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及んだと陳述し原告は右につき円満解決を図るため被告を相手取り調停を申立たが不調に終つたものであると附陳し被告主張事実中本件事故発生当時管理所は電気通信省所管の国の機関であつたが電気通信省は昭和二十七年七月三十一日法律第二百五十号日本電信電話公社法によつて被告たる日本電信電話公社となり同被告は国が従来同省所管の事項に関して有していた権利義務を承継したことは認めるがその他の原告主張に反する点は否認すると述べた。<立証省略>
被告指定代理人等は主文同旨の判決を求め、答弁として原告主張事実中原告が訴外小西浅吉を自転車に同乗せしめ、昭和二十六年九月二十五日午後一時頃津市丸の内伊勢新聞社北十字路を南進の際管理所運転手中村勇が公務のため同所の自動車を運転し十字路を東折せんとするに衝突し、原告等は路上に転倒して負傷したこと、原告は直ちに永井病院に運ばれ引続き入院したこと、管理所長は好意を以つて原告の入院期間を病院が八十日というのを百日と見積つてその間の入院費、休業補償等を金六万七千百八十円となしこれを負担することとして示談が成立し原告に於て右金員を受領したこと、並びに本件に関し原告から民事調停の申立があつたが調停は不調に終つたことは認めるが被告の自動車が急に東折せんとして衝突したこと、管理所長がその過失を認めて入院費等を負担する旨の申入をなしたこと及び本件示談契約は永井病院の誤診を基礎としたもので無効であり又然らずとするも信義誠実の原則に反するものであるとの主張及び損害額の点はこれを争う。
本件に対する損害賠償については原、被告間に原告主張の如き内容の示談ができ本件事故に関しては一切のことについて双方共苦情異議を申さないこととして和解が成立し被告は右による金員を原告に支払つているのであるから原告はもはや本件に関する損害賠償義務を有せず原告の本訴請求は失当である。原告は本件示談契約は永井病院における診断が基礎をなすものと主張するが右診断の如何によつて該契約の効力が左右せられるべきものではない。即ち本件示談契約成立の経緯についてみるに事故発生後に管理所職員が永井病院に原告を見舞つた際原告は入院経費等の負担について被告において配慮されたい旨述べており、更に昭和二十六年十一月二日には原告の使用人である訴外神尾秋広が管理所へ出頭して原告の病状を訴え原告入院中の生活費として若干の金員を貸付けられたき旨の申入れがあつたので管理所において同月五日原告の妻に出頭を求め金員の貸付は至難であることを説明したところ、同人は生活困窮の状態にあるから「同年九月二十五日より十一月四日迄に要した治療費、今後退院迄に要する治療費並に入院中の食費」の実費額を被告に於て負担することにより円満解決したき意向を漏らしたので管理所はその旨被告に報告した。依つて被告は同年十一月十日事務官訴外黒川敏介を永井病院の原告方へ派遣し管理所庶務課長訴外中村幸一並びに会計課長訴外和田竜泉及び原告の妻立会の下に原告と折衝の末「入院中の治療費、入院中の生計補助、自転車の修理代」を被告側で負担されたいとの原告の申出に基き同日永井病院医師前沢堯の診断を受けしめて之を参考となし事故当時における当事者の過失の有無に拘らず同情的に原告要求の金額(イ)同年九月二十五日より十一月八日迄(四十日間)の入院治療代金一万八千四百八十円、(ロ)その後の治療見込額(六十日間)金一万四千二百円、(以上(イ)、(ロ)とも入院料一日につき金百五十円、処置料一日につき金五十円、ギブス料金千二百円、レントゲン二回分金千円)(ハ)休業中の生計費補助百日分金三万二千円(一日金三百二十円として入院中病院調整の食費、付添者の費用等一切を含む)(ニ)自転車修理代金二千五百円以上合計金六万七千百八十円を全面的に容認して茲に示談契約が成立し示談書作成の上同月十二日永井病院において原告並にその妻及び右庶務課長並に会計課長立会の上で捺印するに至りたるものである。叙上の経過により明かなように示談契約では原告の入院実費を出来得る限り被告に於て負担することにより本件事故に関する一切の紛争を解決することが契約の内容をなすものであつて永井病院の診断は直接示談契約の決定的内容たるものではない。
仮りに本件示談契約が右診断に基いて成立したとしても該診断には誤はないから錯誤の問題は生じない。即ち永井病院は津市随一の外科病院であり設備はもとより永井院長並に原告担当の前沢医師は共に優秀なる医師である。前沢医師の前叙診断はレントゲン診察を加えた綿密な診察の結果であつて診断時における原告の病勢は診断書記載のとおり「腰椎骨折兼右下腿骨複雑骨折」に相違なく又同書面記載の「向う二カ月間の入院加療を要するものと認む」とあるのも前沢医師が予定する治療と患者の療養態度が通常であることにより爾後における予期しない条件の介入なき限り少くとも二カ月間入院治療が必要でありその後は通院又は家庭療養等医師の指示通りになすときは治癒するということを言うのであつてこの点についても同年十二月二十五日における前沢医師のレントゲン診察の結果再度のギブス固定療法を施す必要を認めたとはいえ同医師が同月二十七日自宅より通院加療する旨の原告の申出を許した事実に徴するも前叙診断が誤診でないことが明らかである。たとえその後原告の病勢が悪化し原告主張の如き治療を必要とするに至つたとしてもこれは前沢医師が到底予期することができない爾後の条件介入か或は原告が永井病院を退院後前沢医師が要求して通院加療を怠つたことに原因するものであつて前沢医師の診断が誤りであつたことによるものではない。而も示談のときは診断書に「二カ月の入院加療」とあり当然退院後の治療養生の必要なことを前提として居ることについては原告も充分認識するところでありかかるが故に特に入院中の諸費用負担の範囲に限定しその代り事故当時の過失の問題等に一切触れずに円満解決を見たのであつて原告としても被告の処置に対し当時非常に感謝していたのである。されば前沢医師に誤診はなく退院後の治療についても予定するところであつたから錯誤の問題の生ずる余地がない。仮に前沢医師の診断が誤診であり右診断を原告が過大に評価し或は二カ月の入院加療で全治すると解しこれを契約の要素となしたとしても原告に重大な過失ありと云わねばならないから原告自ら錯誤による無効を主張することはできない。のみならず本件示談契約は民法にいわゆる和解契約である。しかして和解契約においては和解の目的である権利に関しては創設的効力を生じ一般錯誤に関する民法第九十五条の適用がないから原告の錯誤を理由とする本件示談契約の無効なることの主張は理由がない。然らずとして本件示談契約は瑕疵あるものとしても原告は契約成立後の昭和二十六年十二月二十六日に契約金を何ら異議をとどめることなく受領しているのであるからその後にこれを追認したものというべきでありもはやその無効を主張し得ない。仮りに百歩を譲つて叙上の被告の主張がいずれも理由なしとするも本件事故については原告にも過失があるから損害賠償額算定については当然斟酌せらるべきものである。先ず事故発生時の状況について見るのに管理所運転手中村勇は事故発生当時たる昭和二十六年九月二十五日午後一時頃津市内の電話線修理のため同所所属自動貨車に応急修理器具、リヤカー一台竹梯子二丁を積載し作業員三名を搭乗せしめ助手席には同所職員一名を同乗せしめ運転し津市内国道一号線を時速二十五粁で北進していたが市内丸の内伊勢新聞社北十字路に差蒐りたるを以つて方向指示器を上げて速度を緩めこれを東折せんとしたところ北方から南進して来る原告の自転車を発見したので警笛を吹鳴して制動装置をかけて除行したが原告は尚も相当の速度で自動車前方に於て十字路を横断するので中村運転手は急停車したが及ばず惰力によつて前進する自動車の前輪へ原告の自転車が衝突し原告等は転倒し負傷するに至つたものである。しかして中村運転手並に原告の過失の程度如何というに事故現場は道路の幅員広く見透しが十分であり当日の気候も北々東の風、風速二米、天候雨、雨量なみ雨即ち所謂霧雨状態であつた。中村運転手は過去六年間余の運転手の経験を有しその間一度も交通事故を起したことがなく運転技術優秀なる運転手であり且つ前叙の如き事故防止に万全の注意を怠らなかつたのであつて同人には過失なきに等しくたとえ過失ありとしても極めて軽度のものであると信ずる。他方原告は凡そ十字路等を横断するときは前後左右を注意し危害防止に努めるべきであり事故現場が前叙の如く見透しがよいから前方から右折しようとする自動車に気が付かぬ筈がないのに津警察署の取調に於ては自動車を見なかつたと答えて居るように極めて事故防止について不注意であり而も原告は訴外小西浅吉を自転車に同乗せしめ道路交通取締法第七条で禁止している無謀な操縦即ち二人乗は正当な運転ができない虞が十分あるのにこれをなし且つ同法第十六条によれば自動車に対し自転車は先ず進路を譲らねばならないのに自動車の先を進行せんとしている等交通道徳を忘れ通行者としての注意を怠つているのであつて事故発生については極めて重大な過失があると云わねばならない。されば彼是斟酌するとき被告の原告に対する損害賠償額は既に支払い済である金六万七千百八十円の範囲で十分であると述べなお本件事故発生当時管理所は電気通信省所管の国の機関であつたが電気通信省は昭和二十七年七月三十一日法律第二百五十号日本電信電話公社法によつて被告たる日本電信電話公社となり同被告は国が従来同省所管の事項に関して有していた権利義務を承継したものであると附陳した。<立証省略>
三、理 由
原告が訴外小西浅吉を自転車に同乗せしめ昭和二十六年九月二十五日午後一時頃津市丸の内伊勢新聞社北十字路を南進の際管理所運転手中村勇が公務のため同所の自動車を運転し十字路を東折せんとするのと衝突し、原告等は路上に転倒して負傷したこと、原告は直ちに永井病院に運ばれ引続き入院したこと、同年十一月十二日管理所長の好意で原被告間に原告の入院期間を同病院が八十日間というを百日と見積つてその間の入院費、休業補償、自転車修理代等として合計金六万七千百八十円を被告において原告に支払うこととして本件示談が成立し原告が右金員を受領したこと、本件事故発生当時管理所は電気通信省所管の国の機関であつたが電気通信省は昭和二十七年七月三十一日法律第二百五十号日本電信電話公社法によつて被告たる日本電信電話公社となり同被告は国が従来同省所管の事項に関して有していた権利義務を承継したことは当事者間に争がない。そこで先ず本件示談契約が原告主張の如く永井病院の診断を基礎として成立したものかどうかの点について考えてみるに証人前沢堯の証言によつてその成立の認められる乙第一号証、成立に争いのない同第二、第三号証の各記載に証人黒川敏介、中村幸一、和田竜泉、前沢堯の各証言及び弁論の全趣旨を綜合すると原告が負傷して永井病院に入院後の昭和二十六年十一月二日原告の使用人訴外神尾秋広より管理所に対し原告の窮状を訴え原告入院中の生活費として若干の金員を原告に貸付けられたき旨の申出があり、管理所において同月五日原告の妻に出頭を求めたところ同人より原告方は生活困窮の状態にあるから原告の今までの入院費及び今後の治療費、食費、自転車の修理費を支払つてもらいたき旨の要求があつたので管理所ではその一存ではいかないので原告負傷の模様及びそれについての原告側の意向を名古屋東海電気通信管理局に報告し右報告に基いて同局より同月十日黒川事務官が来津し原告の入院先なる永井病院において被告側より右黒川事務官、管理所会計課長和田竜泉、同所庶務課長中村幸一、原告側より原告及びその妻立会のもとに種々折衝の結果原告の申入れのとおり原告入院中の治療費、入院中の生計補助費、自転車の修理費を被告において負担することになつたが右具体的金額の算定については原告の入院期間が問題となるので永井病院医師前沢堯にその診断を乞い右診断にもとづき原告の入院加療期間を百日と見積り(ただ同診断によれば同日現在において今後二カ月の入院加療を要すとの診断であつた。
即ち原告負傷後よりみればその入院加療期間は約八十日であるが更に二十日間の余裕をみて原告の入院期間を百日と見積つたのである。)入院料一日につき金百五十円、処置料一日につき金五十円、休業中の生計補助費一日につき金三百二十円としこれにその他の諸費用及び自転車修理代として金二千五百円を含めて合計金六万七千百八十円を被告より原告に支払うこととなり双方共本件事故についての一切の事項に関し苦情異議を申さないことに話が纏り右につき名古屋東海電気通信管理局長の決裁を得て同月十二日原被告間に正式に本件示談契約が成立したものであることが認められ右認定に反する証人加藤晴大の証言部分及び原告本人訊問結果の一部は前顕証拠に照らし措信しない。してみれば本件示談契約においては原告の入院加療期間の幾何であるかということがその要素をなしているものであることは明らかであり右期間は前叙永井病院前沢医師の診断に基いたものであるから本件示談契約は結局において右診断を基礎として成立したものといわなければならずこの点に関する被告の主張は理由がない。そこで右診断が誤診であつたかどうかについて考えてみよう。証人前沢堯、鈴木聰、和田修の各証言を綜合すると診断当時においては原告の病状は骨髄炎等の症状なく単純なる腰椎骨折兼右下腿骨複雑骨折でありかかる病状の場合は他に異状のないかぎり負傷後約八十日間の入院加療を要するものであつたことが認められる。尤も証人前沢堯、鈴木聰、和田修の証言及び原告本人訊問の結果を綜合すると原告は右診断と異りその治療に長期間を要したことが認められるがこれは右叙上の各証拠によつて明らかな如く右診断後において細菌のため骨髄炎をおこしたためであつて(このことは診断当時においては確実に予測し得なかつたものである。)該診断が誤つていたためではないのである。従つて右診断には誤りはなく診断後間もなく成立した本件示談契約当時において原告が其後二カ月間の入院加療を要するものと考えたことについて原告に錯誤ありといい得ない。しかのみならず本件示談契約は原告より被告に対する本件事故による損害賠償の請求に関してその円満解決を図るため種々折衝の結果原被告間に成立したもので該契約によつて被告より原告に対しその入院費、休業補償等として金六万七千百八十円を支払うこととし将来本件事故については原被告双方一切異議をいわないことを約したものであること前段認定の如くであるから本件示談契約が民法上の和解契約であることは明らかであり原告の本件負傷による入院加療期間の幾何かは本件契約の争の目的たる損害額の算定に密接不可分な関係を有するものであつたこと前段認定の如くであり右入院加療期間の如何は本件示談契約によつて解決することを約したる争の目的たる事項であつたとみるべきであるから仮りに原告主張の如く右期間に関し原告に錯誤があつたとしても民法第六百九十六条によつて右は本件示談契約の効力に何らの影響を及ぼさないというべきである。従つてこの点に関する錯誤を理由として本件示談契約の無効なることを主張する原告の主張は理由がない次に原告は本件示談契約が錯誤によつて無効でないとしても信義誠実の原則に反し無効であると主張するが前段認定の如き本件示談契約の成立の経緯その内容等に照らしこれをみるとき本件契約が信義誠実に反したものとは認められず右原告の主張も亦理由がない。
果して然らば本件示談契約の無効なることを前提とする原告の本訴請求は爾余の判断を俟つまでもなくその失当なることは明らかである。
仍つて原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 西川力一 中瀬古信由 家村繁治)